東京湾岸に点在する優れた施設を線で結び、散歩・ジョギング・自転車通行可能な東京湾トレイルを創る!
成田空港や羽田空港、横浜港といった日本の玄関口が面する東京湾岸には、多くの海浜公園や自然保護地区、遊歩道などがあります。
しかしながら残念な事に、これらの施設は点として存在しており、線にはなっていないのが現状です。
ビズフォリオは、「東京湾周辺の優れた海岸地区を、歩道や自転車道としてつなげたい 」、「点(各々の観光名所)を線(歩道や自転車道)にしたい」という想いを実現するために、「NPO法人 シンクタンク日本 東京湾トレイル推進メンバー」とともに活動しています。
東京湾岸にある、土木遺産を紹介します。
*以下ブログ記事より転載*
前回は、日本最初の近代水道完成の功労者であるパーマーの胸像が立つ『野毛山公園』を紹介しました。
もちろん、パーマーの遺産はそれだけに留まりません。
インフラツーリズムの後半は、横浜の湾岸地域に残るパーマーにまつわる色々な足跡を見て歩き回ります。
『野毛山公園』からJR桜木町駅をくぐり抜け、明治政府によって保税倉庫として建設された歴史的建造物である『横浜赤レンガ倉庫』を経由して、『象の鼻地区』へと足を進めます。
『象の鼻地区』は、1859(安政6)年の横浜港の開港にあたり東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)の2本の直線状の波止場が作られました。
その後、1867(慶応3)年に東波止場は湾曲した形に変更され、その形状からいつしか「象の鼻」と呼ばれるようになったようです。
次に、その名前と形状に魅了された「獅子頭供用栓」を見に、『馬車道』へと向かいました。パーマーがイギリスから取り寄せた日本最初の蛇口である「獅子頭供用栓」が、今も老舗のレストラン、勝烈庵の前に残っています。この他にも、南区にある『大原隧道』の近くにあることが分かりました。
今回のインフラツーリズムの最後に紹介する『大原隧道』は、全国的にも珍しい水道幹線路と公道併用の人道トンネルです。関東大震災復興事業として横浜市水道局が設計し、竣工は1928(昭和3)年ですが、施工者は不明のようです。
目的だった「獅子頭供用栓」に加え、風格がある坑口がとても印象的で、『大原隧道』の不思議さには大いに魅了されました。
東京湾岸インフラツーリズムの初回は、前半と後半の2回に分けて、横浜港周辺の土木に関係する名所を紹介しました。
横浜の近代化に多大な貢献をした英国人パーマーの足跡が、土木遺産として残っています。パーマーを初めて知った人にも、興味深い内容だったのではないでしょうか。ぜひ、「獅子頭供用栓」を見に、横浜を訪れ、歩き回ってみてください。
これからも、東京湾周辺に残る、土木遺産をどんどん紹介していきます。
※「建設通信新聞」2018年12月13日記載をブログ用に加筆しています
今回は、近代水道発祥の地、『H.S.パーマーの胸像』がある野毛山公園からスタートし、『横浜赤レンガ倉庫』『象の鼻地区』『馬車道』そして南区にある『大原隧道』を順番に回ります。
パーマーは、工兵将校としての道を歩み、自然科学者や工学者、文筆家、ジャーナリストとしても活躍した多彩な才能の持ち主でした。
彼は水道に十分な圧力を持たせることで、給水・防火の双方へ効果が得られることを強調し、地震の多い日本においては、鋳鉄管を使用するように説きました。
1885(明治18)年から、いったん帰国し再来日したパーマーの監督のもと、水源の相模川上流から貯水場が設置された野毛山までの約43キロに渡る水道敷設工事が開始されました。様々な困難を伴いつつ、2年半後の1887(明治20)年に国内初の近代水道が完成し、給水が開始となりました。
野毛山公園にある『H.S.パーマー胸像』へは、京急日ノ出町駅を降りて野毛山動物園に隣接しているその公園までのなだらかに続く坂を上っていきます。
日本最大の外国人居留地として発展した明治期の横浜では、人口増加に伴う飲料水不足が、生活・衛生両面から大きな問題となっていました。この問題を解決するため、地元商人が発起人となり横浜水道会社が設立され、1873(明治6)年より多摩川を水源とする横浜上水の配水が開始されました。
ところが、この上水は通水のために木樋を使用した旧式なものであったため、漏水が頻発したほか、周囲の汚染を受けやすいといった衛生上の問題があり、圧力不足から消防用に使えないという弱点もありました。
このため、近代的な水道設備を求める声は日増しに強くなり、1883(明治16)年に県から水道調査設計を依頼されたのが、英国陸軍の工兵中佐H・S・パーマー(1838 - 1893)でした。
明治の初めに、英国人のパーマーの偉業により、横浜市から日本の近代水道は始まりました。彼の功績をたたえて、野毛山公園に『H.S.パーマー胸像』が建てられました。
また、パーマーの計画により近代横浜港の築造が進められたのが、横浜港発祥の地として知られる『象の鼻地区』です。
次回は、その『象の鼻地区』や『赤レンガ倉庫』を紹介します。
※「建設通信新聞」2018年12月13日記載をブログ用に加筆しています